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天川村を台風12号による被害から復旧させるボランティア活動
報 告 書

報告者:藤田裕行

東日本大震災に続いて自然の脅威を痛感したのが、この度の台風12号による紀伊半島での水害であった。その全体像は報道にある通りだが、その中にあって志士経営者倶楽部にもゆかりの深い天河大弁財天社(通称「天河神社」)のある天川村が被災した。これまでメール配信で状況は報告してきたが、今回は現地の様子を写真映像でお届けしたい。

志士経営者倶楽部の有志は、奈良県天川村の天河神社でセミナーを行ったことがある。加瀬英明先生にも、奉納講演をして頂いた。また柿坂宮司様と神職の方々には、はるばる上京して頂き、志士経営者倶楽部のセミナーで神事を執り行って頂くなど深い絆で結ばれている。そこで志士経営者倶楽部の藤田と寺島が、9月7日水曜日の天河神社へ災害の救援のために派遣されることとなった。

品川より午後2時の新幹線に乗り、橿原神宮ほど近くの大和八木に午後5時半に到着。レンタカーを借りて現地へと出発した。出発にあたり神武天皇陵をまず参拝。さらに途中で長靴、作業着、軍手などを調達し、現地天川村には午後9時半過ぎに到着した。天河神社まで車で10分ほどのところにある民宿(普通の家の空いた部屋を宿泊施設としている)に泊まることができ、そこを拠点とした。

天川村は、8割ぐらいの家屋が浸水したと推定される。通常は、橋より十数メートル下を流れる熊野川(「天の川」と別称で呼ばれている)が、9月3日に3ヵ所で発生した崖崩れにより、いわゆる「土砂ダム」を形成、水位が数十メートルも上昇した。このため床上浸水58棟、床下浸水5棟が発生した。実際に村を回ってみると村の半分ぐらいの地域の住宅が浸水していた。ほとんどが1メートル以上の床上浸水。1階が水没したり、2階まで水につかった住宅もあった。緊急避難施設のひとつ、天川中学校は2階まで浸水した。川に接していた天川中学校は校庭の3分の1が流され、そこに建っていた教員住宅も水の藻屑と化し、女性教師一名がいまも行方不明となっている。

写真を見るとおわかり頂けると思うが、家が流れて他の家に激突したり、巨大な流木や瓦礫が流れてきて民家を襲った。4日の日曜日夜は天河神社の神職などは天川村の村民と共に近くの天川小学校に避難し、1泊した。

我々ボランティアの仕事は主として、水没した家具や家電製品、布団や衣類などを運び出し廃棄場に集積する、使用可能なものは洗って日干しするなどであった。藤田と寺島は7日木曜日と8日金曜日の両日、朝9時より夕方6時頃までこうした作業に従事した。さらに9日土曜日は、朝の9時より神社周辺の瓦礫やゴミの収集、さらに電源確保のために新たに敷設するケーブルのために土木工事作業のようなことのお手伝いも行った。

現地では、7日の木曜日時点で天川村がボランティアを募集、8日には奈良県のボランティア募集が始まり、我々のボランティア最終日の9日土曜などは朝から10人ぐらいのグループで、ボランティアが現地を視察する様子があちらこちらで見受けられた。9日と10日の週末には100人規模で天川村にボランティアが入ると聞き及んだ。

天河神社は、既にメールで報告したように社務所や倉庫などが水没した。また太鼓橋も浮き上がってしまったが、本殿や宝物殿は無事だった。特筆すべきは、千年にわたり消えずに護持されてきた灯明が、奇跡的に救われたことだった。これには神職も驚愕していた。「千年の灯」は、ガラスの灯明の器に入っていた。その器の淵ギリギリの高さまできて水は止まった。その高さは、「水平」に移動させてみると宝物殿の階段の最上段、つまり宝物殿の入り口ギリギリ下であり、また本殿へと上がる階段の一番下ギリギリのところにあたる。これにはビックリ仰天した。まるで神域の「結界」の内側へは1ミリたりとも水を入れないと、そう神様の権威と威厳が示されたかのようであった。

もうひとつ驚くべきことがある。天川村より少し下流にはダムがある。このダムは、台風12号の大降雨により増水しついにひび割れから水が噴出し決壊ギリギリの状態となっていた。もし増水した熊野川の水量がそのままダムを直撃していれば、ダムは決壊し、その下流の村落の数千という人々が多大な被害を受けたであろう。ところが、天川村で3ヵ所の崖崩れが発生したために、水が堰き止められた。このためにダムは決壊せず、ギリギリのところで持ち堪え、ダムの下流地域の住民は被災を免れたのである。まさに危機一髪のところで、増水し暴流となった熊野川の水が、天川村で堰き止められたのであった。

天河神社の弁財天は「水の神様」でもある。その水の神様は、天河神社の建つ天川村を洪水にして下流のダム決壊を防ぎ、多くの人命を救ったのだという。そのことが真実であるかは信仰の世界のことであるが、ひとつ言えることは、もし天川村に土砂ダムが形成されることがなかったならば、下流のダムは確実に崩壊し、数多くの方々が被災し、多くの犠牲者を出したことであろう。天河大弁財天の大いなる加護により、多くの人々が救われたとそう思うことが大切だ。

天河大弁財天社は、神武天皇が我が国の国名である「日本(ひのもと)」を霊感したところとも言われている。また、神社のあるところは日本で最初に海から隆起したところでもあるとされる。日本の原点にゆかりのある聖地だ。この天河大弁財天社が洪水に洗われたということは、どういう意味示しがあるのであろうか。柿坂宮司は、東日本大震災の津波と天河神社の受けた水害について、こう語られた。

「いま日本には、禊ぎが必要とされている。今回の台風による水害も東日本震災もこれから日本を立て直すためのみそぎだ。」